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第8回憲法学特殊講義(人権擁護法案考)

第8回~第11回の4回にわたって、「人権擁護法案を考える~人権擁護法は「人権」を「擁護」するか~」を掲載します。
ゼミの3回生レポートとして作成したもので、脚注含めて2万2千字超の長文となっております。
しかし人権擁護法案が表現の自由に及ぼす悪影響についてできる限り記してありますので、ご覧になってみてください。

1.はじめに
 今日、人権をめぐる情勢は複雑化の一途をたどっている。
 国籍や出自を理由とする旧来的な差別のみならず、過熱するマスメディアの報道やインターネット上の表現によるもの、あるいは公権力によるものといった形で人権が侵害される事案が増加している。
 これに対応すべく、政府は「人権擁護法案」を提出したが、各方面からの反発に遭い廃案、また与党による法案再提出案も立ち消えになってしまった。そしてその理由は、「人権擁護法案は『人権』を『擁護』しない」「市民の自由を侵害する」「現代の治安維持法として言論弾圧を引き起こす」と言うものであった。
 このレポートは、真に守られるべきは市民的自由であり、その根幹を成すのは表現の自由であるという観点のもと「人権擁護法案」を取り上げ、その提出過程や背景、内容、問題点を検討し、国民世論の一端を担うことを目的とするものである。
 なお法案は、党配布リーフレット等で一部にしかその内容が知られていない修正案ではなく、国会において国民の代表者による審議を受けた政府提出案(初期)を取り上げ、諸方面に対する公平性を保つよう努めた。条文に関しては、基本的には5章で挙げた法務省HPのものを参照していただきたいが、特に重要と認められるものに関しては引用し、斜体で表記している。


2.人権擁護法案とは
1、人権擁護法案提出の過程及びその背景
(1)人権擁護法案提出から現在までの経緯
今回レポートに取り上げる人権擁護法案は複雑な過程を持つ法案である。以下にその過程を簡単に示したい。
この法案は、2001年に公表された人権擁護推進委員会の答申を踏まえて翌年1月に示された人権擁護法案(仮称)の大綱を具体化したものである。人権擁護推進委員会というのは、人権擁護施策推進法に基づき法務省に設置された、基本的人権の尊重のための施策を検討し答申等を行う機関である。
同機関は2000年、「人権救済制度の在り方に関する中間とりまとめ」を発表し、メディアによる人権侵害も対象に含む人権救済につき広範かつ強力な権限を持つ行政機関の設置を提案した。その翌年、「人権救済制度の在り方」「人権擁護委員制度の改革について」の両最終答申を法相に提出、これが人権擁護法案大綱へとつながることになる。
この答申では、あらゆる人権を対象とする「相談」「あっせん」「指導」の権限、「差別」「虐待」「公権力による人権侵害」「メディアによる人権侵害」に対する「調停」「仲裁」「勧告・公表」「訴訟援助」の権限、さらには人権侵害の排除を裁判所に求める強制的救済方法や過料・罰金等で担保された強制調査権をも含む強大な規制権限を持った独立委員会組織の設置が盛り込まれており、この時点で既に法案の枠組みは完成していたと言える。
その後法務省は法案を2002年3月の第154回国会に提出したが、数々の問題点についての審議が紛糾するなか、翌年10月の衆議院解散に伴って廃案となってしまった。次いで2005年2月には政府・与党は廃案となった法案に一部修正を加えた上で再提出する方針を固めるものの、自民党内で反対意見が相次いだために7月になって第162回通常国会での法案提出が断念された。
今後の動向に関しては、自民党中川秀直国対委員長がテレビ公開討論番組中(*1)において法案再提出の見通しを示し、また小泉首相自身も「人権擁護法案を、出来るだけ早期に、提出出来るように努めて参ります」と答弁して法案成立に意欲を見せているものの、杉浦法相自身は「出し方が悪かったという気もするし、中身にも問題がある。出直しというところではないか」と述べて現行法案では国会提出は困難との認識を示している。
なお本レポートで言うところの「人権擁護法案」あるいは「法案」とは、先述のとおり衆議院に提出され廃案となった「人権擁護法案」を指す。
(2)人権擁護法案提出の「背景」
では、なぜこのように複雑な過程を見せているのか。それは、この法案の背景には部落解放同盟の存在があるからである。
 そもそも部落差別というのは、同和地区―かつて罪人や無宿人を地域ごとに定住させた「部落」に端を発する―の出身者を「穢多(えった)」「非人」として就職や結婚といった場面で差別するもの(*2)で、この問題の解消は以前からのテーマとなっていた。
 そういったところから、部落解放同盟(解同)は差別規制や救済機関としての人権委員会の設置を含む部落解放基本法の制定を求め極めて活発に活動を行い、行政側もそれに対応していくつかの提案がなされてきた。また、地域改善対策協議会は「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」を発表、差別解消のための教育・啓発につき今後は人権教育・人権啓発として発展的に再構築すべきこと、人権救済制度については現行制度を抜本的に見直して新救済制度を確立すべきことを盛り込んだ。
 そうした経緯を受けて人権擁護法案は差別表現に対し重きを置いているのだが、この数々の問題を含んだ法案(詳細は後述)が国会に提出され、また多くの反対があったにもかかわらず再提出が検討されたのも、やはり解同からの一定以上の要求があったからだと言うべきであろう。
 解同は政治家の輩出母体としても有名である。自民党では野中広務(元内閣官房長官、元自民党幹事長)、民主党では前原誠司(現党代表)といった代表クラスの著名政治家も解同出身(*3)である。そのため、与野党に対し人権擁護法(民主は人権救済法)の成立に向けて要求を行いやすいのである。
 事実、解同は、一応は人権委員会の独立性などに関して不十分という見解を示しているもののその実現に躍起になっているように見える。具体的な動向として、2005年1月に与党人権問題等懇話会座長の古賀誠(同氏が解同出身か否かは定かではないものの、前述の野中氏の後継者として解同と非常に深い関わりを持つ)元自民党幹事長と組坂繁之委員長が秘密裏に会談したり、民主党から衆参両院議員を出して対案の「人権侵害救済法」制定を求めたりしている。また、「全国のあいつぐ差別事件」(2002年度版)前書きには『「人権擁護法案」などはまさに「部落解放基本法」制定運動の中から生み出されてきたもの』とも記載がある。
こうしたところから、同法案は解同こそが事実上の生みの親であり、問題があるにも関わらず再提出になったのも何らかの圧力といったものがあったからではないかとの推測がなされているのである(*4)。

2、人権擁護法案とは―その基本的枠組み―
 それでは、その人権擁護法案とは具体的にどのような法案なのだろうか。
 そもそも同法案は、「人が生まれながらにして持っている権利としての人権」を擁護するために、「人権侵害に関する相談」を受け付け、それを元に「加害者に人権侵害をやめさせ」,あるいは「被害の回復を得られるよう人権侵害の被害者を援助する」といった「人権救済手続」を整備すること、加えて「人権擁護のための組織体制」を整備することなどを目的とするものである(*5)。
そしてその目的の下で、まず新しい人権機関としての人権委員会を法務省の外局として設置することを定めている。人権委員会は人権啓発や政府への助言と同時に人権救済を担当し、内閣総理大臣が両議院の同意を得て任命する一人の委員長と委員四人から構成され、事務局と地方組織を有し、独立性を持って職権行使をすることが保障されている(第二章)。
人権救済手続きは、一般救済手続と特別救済手続とに大別される。委員会は広く人権相談に応じるとともに、人権侵害事件について任意の調査を行い、助言、指導、調整等の一般救済措置を講じるものである(一般救済手続。第四章第二節)。
一方の特別救済手続に関しては、列挙された一定の人権侵害に対して、委員会が関係者への出頭や文書の提出要求、立ち入り検査などの調査を過料の制裁を伴う形で行い(「特別調査」=強制捜査)、調停・仲裁、勧告・公表、訴訟援助(資料提供、訴訟参加)などの救済措置を講じるとされる(第四章第三節)。特別救済の対象となる人権侵害としては、1)不当な差別的取扱い、2)不当な差別的言動等、3)虐待、4)報道機関等による人権侵害、5)前述1~4に準ずる人権侵害、6)差別助長行為等が挙げられている(1~5を特別人権侵害とする。なお4、5は特別調査の対象とならず、6の救済としては、勧告、公表と差し止め訴訟の提起が定められている)(42条、43条)。
 なお、雇用における差別的取扱い、職場における不当な差別的言動については、厚生労働大臣が特別救済措置の講ずるなどの特例も定められている(第五章)。

次回に続く



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